Interuniversitaetsseminar fuer deutsche und japanische Kultur

吉島 茂(東京大学教授)(日本独文学会『ドイツ語教育部会会報 1982年21号』より)


 この通称Interuni-Seminarの性格を一口でいうなら欲張りの一語につきる. 欲張りの常としていつでも不満がたえない. その点をこれからご紹介したい.

 私がこのゼミナールの運営に関係しだしたのは1979年春からで, 2年間のドイツ留学から帰って半年後のことである. 第一回の, いわゆる河口湖ゼミは 78年夏に開かれていたから, その成立の経緯についての具体的なところは私にはわからないが, ボツボツ聞き知ったところによると:

 このゼミの前身には東京大学教養学科ドイツ分科の合宿ゼミナールがあった. Kommunikation能力の強化を図ったSprachkursで, どこにでもありそうな珍しいものではない. ただし, 欲張りの芽はすでに芽生ていたようである. 単なる会話の練習でなく, 日独の言語行動上の, 言葉に対する対応の仕方の差違を分からせようというのである. それが会話, 討論の能力を向上させると考えたのである.

 この目標にさらに二つの目標が加わって, しかも広く他の大学にも呼びかけてGoethe-InstitutやDAADの応援のもとに出来あがったのがInteruni- Seminarである. その二つの目標は,

 1. 現在日本の人文系学問(特にGermanistik)に見られる視野の狭隘さを打破り,ヨーロッパだけに,専門にだけ向けられている目を, 他の世界に,他の分野にも, 何よりも日本の状況に向けること.

 2. ドイツ語を話す人間が, ドイツ人との共同ゼミで主導権を握るというありがちな傾向を改めること, すなわち日本語の復権であった.

 第1の点は, Kommunikation能力の低さが, 自己提示, 他者への関心の低さに由来すると考えるなら, 心理的な意味で, 同一線上にあるといえよう.

 第2点は一見, Kommunikation能力の向上という当初の目標とは矛盾する. 会話能力が不断の努力の上にはじめて成立つとすれば, 討論の場などで安易に日本語に逃れ, 通訳を期待することは, 進歩の芽をつむものだといえる. 語彙の少なさや, 使える構文の少なさだけなら, 通訳の問題はたいしたことではない. むしろドイツ語で表現するための考え方, 論理の進め方を言語的にマスターしていない点が問題なのである (語学練習はむしろこちらのほうが重要である.特に短期のゼミナールでは). ゼミの参加者のなかに, 単語をときどき与えてやれば, 延々議論のつづけられる学生がいた. 何でも,おしゃベリ, 理屈屋として家でも敬遠されているそうだが, ESSの会長もやったとか, ヨーロッパ的思考パターンをいくつか完全にマスターしていたのである. このような場合は純粋に学問的内容が次の問題になっていくのだが, 一般にはそこまで行かず, 考え方自体が混乱していたり, よい場合でも日本的思弁が先行していて, ドイツ語のコンテキストにのらないのである(日本的思考をドイツ語で通じるように表現できたとしたらゼミの目的は100%達成されたのだが...). また学部生から大学院のドクターまでいるゼミでは表現力に差があるのは当然で, そのなかで意見があるのに言わないでいるよりは(これがだいたいドイツ的言語行動の原理に反するのだ), 何はともあれ発言したほうがよい. あとは個人の自覚と進歩にまつより仕方ない. 人間の能力の進歩には絶対的な課程表がないのであって, 頭から入っても, 口から入ってもかまわないのである.

 こうした三つの目標をもって最初のゼミナールが開かれた. テーマは「Literatur und Politik」であった. このゼミがともかく成功をおさめたことが, 今日のゼミにと続いていった大きな要因である.

 第2回合宿からは私が雑用を引き受けることになったが, 現在の活動の大要を述べておく. 78年から80年春までは年2度25名から40名の学生と, それぞ れ5名から8名のドイツ人, 日本人教師が参加して, 合宿ゼミナールが開かれた. 79年春(逗子)はDeutschlandbild in Japan, Japanbild in Deutschland. 夏(河口湖)はBuerger,Bildung,Buergertunm. 80年春(強羅)はLiteratur und Sozialisation. 夏(野尻)がKommunikation. 81年春(強羅)がKommunikation: Verstehen und Uebersetzungがそれぞれテーマであった. ここで学生, 教師側双方が息切れして, また内容的にも一段落させたところで, 次は82年夏(野尻)を予定している. 新しいPerspektiveで対象を切ることを次々とやっト来たので,そろそろ対象そのものの分析を, Informationを増したいという学生側の希望で, テーマはGesellschaftliche Wandlungen in der BRD nach 1945である. 合宿のほかに学期中月一回(水曜日)の割合で会合がドイツ文化会館で開かれている. 合宿のテーマの準備がいまでは主な課題である. この会合には20人から40人の学生が東京地区の7,8の大学から, ドイツ側は平均4名の東京在住のLektorが, 日本側教師も多いときは5,6名だったが, いまは私と同僚の二人が常時出ている(どなたか一緒にやっていただけませんか). 合宿のときには10以上の大学から参加者がある. 東大生の割合が当初は多かったが, 最近では3分の1ぐらいに減っている.

 このゼミが私の留守中に持ち上がったLandeskunde論争のなかから生れたということは聞いていたが, 私は違った立場から, つまりドイツ分科が課せられているドイツ地域文化の総合的把握を目指して入っていった. この目標自体欲張りである. 学科設立30周年を迎える今でも, この目標とはおよそほど遠い所にあるのだから, いくら頑張っても一朝一夕にどうなるものでもない.

 それはともかく,4つのInterのつくモットーがあった. 1.interkulturell, 2.interdisziplinaer, 3.interuniversitaerで, 4.はinterlernenで, 学生と教師が, 日本人とドイツ人が相互に学ぶことである.「二兎を追うものは」というのだから, いわんや「四兎は」ではあるが, この4つは実は互いに関係しているのである. interkulturellといって, 日本とドイツの文化を比較しようとすれば, ドイツ人から学ぶだけという姿勢は改めなければならない. このゼミにドイツ 人が喜んで協力してくれるのも, 彼らの日本での問題意識がまともに取りあげられるからであり, 日本人側としてもそれに応ずるには自己を見つめなおさねばならず, またそのことからドイツ文化も違ったものとして見えてくる. inter- disziplinaerということから, 他の専門の学生の前では, ドイツ語学者や文学者は生徒とならざるをえない. 専門の学者を招いて教えを乞うことは, 近道に見えて必ずしもそうでない. 学者同士が専門の枠をとりはらって共同研究することは至難の業である. 他の学問分野の成果を利用することは別に学際ではないのである. 対象の問題性,成果,研究方法の有機的関係の学問的位置づけが問題なのである. また第1と第2の関係も強い. 異なった文化の比較は, 個々の事項の対置によっては行われえない. その事項をその文化の中で位置づけ, より大きなKonstellationのなかで観ることができて始めて有意義な比較対照ができるのである. この意味でも, intradisziplinaerな問題にとらわれやすい学者よりも, 人生論的大問題をかかえた学生のほうが共通の基盤をもっていることがある. 第3のモットーは単に組織上の問題のように見えるが, 我々のかか える目標が欲張ったものであるし, その課題を正面から課せられている研究教育組織がごく少数であるという現実から ,経験に照してinteruniversitaerというのは大事な要素であると思う.

 以上, 目標ないし理念を述べたが, このゼミがかかえる弱点もこの欲張りにある. 目標と現実のギャップである. 文化の対照比較にしてもその分析・研究・記述の方法はほんとど開拓されていないし, 学際性にしても, 個々の分野のひとつひとつの課題研究が分野全体との緊張関係に立っている以上,専門的個別研究をないがしろにして, 総合ができるわけもなく, ましてや一人の身体で両者をカヴァーできるものでもない(私はKollektive Wissenschaftにという概念を提唱したい). またこの種の問題意識と取組んでいる大学研究室が少ない以上, 大学間の協力は行われにくいし, 学生にしても, その属する研究室で要求されている専門的課題を果たしたうえで,まったく別の事柄と取組まねばならないのでなかなか大変である. ときには二重人格性を要求されかねない.その上,ドイツ語が中心となるような学問分野はいまでは, 人文科学のごく狭い範囲に限られていて, もし我々がほんとうに学際的になろうとするなら, 英語に切り換えたほうがいいくらいなのである.

 私は,こうした種々の問題にもかかわらず, ときには越えがたい意見の相違にもあいながら, なおまだこの試みをつづけて行こうと思う. 誰かが交替してくれるか, このゼミで学んだ学生諸氏がより大きな可能性をもって, 私たちを引退させてくれるまでは. それまではあまり欲張らず, 最初の二つのモットーを見失わないように, ときには一つだけに重点をおきながら進めば, 何らかの可能性が拓かれてくるような気がする.特に“interkulturell”は重要である. ヨーロッパ社会が行きづまって来ているなかに, 学問の一方通行も変って来ている. 特にドイツでは, 看板だった医学, 化学やまた言語学の分野に昔日の勢いはないし, 哲学もドイツのなかでさえその社会的指導性を失っている. ドイツを対象とする領域だけが中心的地位を失わないでいるが, それらでさえ井の中の蛙的存在からぬけ出そうとあがいている. Humboldt財団の目標が, 研究者の養成から, 共同研究へと重点が移っているのも, Germanistに風当りが強いのもこのコンテクストから見るべきである. 我々がGermanistとして, 日本 の社会に, また国際的に意味ある存在であろうとするなら“interkulturell” はその最も大きな可能性であると私には思えるのである.  

(第3回ゼミの論文集「Literatur und Sozialisation」がまだ100部ほどあります.関心のある方は吉島までお申出下さい.)


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